想像することを想像してみる

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月に3〜4回は関西に出張があるのだけれど、新幹線は考えごとをするのにちょうど良い。日々を振り返る貴重な時間でもある。
今日のお土産はミスタードーナッツ。大学時代に友人とミスドで何時間も話し込んだことを思い出す。当日思い立った方から連絡して、夜の9時にミスタードーナッツに集合、深夜12時に閉店してから箕面の滝にドライブして朝日を見るまで喋るのが定例だった(小ネタだけど、大阪府箕面市のミスドが日本での1号店)。
あの無駄に時間があった日々が懐かしい。むしろあれは無駄な時間ではなく本当に必要な時間だったと、いまでは自信を持って言える。

いまリノベーションスクールでお世話になった建築家の三浦丈典さんの著書「こっそりごっそりまちをかえよう。」を読んでいる。その中では、「じぶんのいえでお店を始めるとしたらなに屋さんがいいか考えよう」がいまの自分にはしっくりと来た。

ここ数年で思ったのは、人は誰でも特技を持っているということ。商売じゃなくてもいいから、一人一人が特技や趣味を活かして少しずつまちと関わっていければ楽しい社会になるんじゃないかと思う。
近所の一軒家で、登った山の石を取ってきて、削って家の前に展示してある家があって、胸が熱くなるのを感じた。同じく近所に書道教室があるのだけれど、待合みたいな空間があって、子どもたちが自由に漫画を読んだりしているのを見て、無言のコミュニケーション、その場を共有している一体感のようなものが感じられて良かった。

人間に必要なのはやっぱり想像力だ。直感を研ぎ澄ませたい。いろいろやりたいことはあるのだけれど、まだうまく言葉にならない。
いつか住み開きもやってみたい。時間限定でブックカフェやギャラリーとして家の一部を使ってもらうような。濃厚な人付き合いを求めてるわけではないので、空間や本、ものづくり、自然、手触り感を通じて共感できるものがいい。

といいつつ、自分はゆっくりじっくり型なので、もしかしたらおじいちゃんになってからの活動になるかもしれないけど、自分の子どもたちやその周りの誰かに、想像する楽しさを伝えられれば、これ以上のことはないと思っています。

とりあえず、目の前の仕事をこなすのでせいいっぱいだけど、建築の仕事も一生懸命やっていきたいし、絵本や言葉を書くことも、地道にやっていきたいと思ってます。

それとは別に、最近90年代ミュージックばかり聴いてて、少しばかり歳も感じる今日この頃。

2017.04.24 | 日々のこと'16-

言葉をからだのなかに取り戻す

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先日の九十九里浜。曇天が浜辺に映り込む様子は、さながらウユニ湖のようだった。

それはさておき。

新聞や雑誌、ネットニュース、SNSを見ていると情報探しに追われてしまい、ひとつ情報を見るとまたひとつ探して、もっと必要な情報があるのではないかと探し回り、いつの間にか通勤時間が終わる。部屋の片付けをしていると、昔の日記やら好きな漫画が出てきて一向に片付けが終わらない現象にも似ている。じっくり本を読む時間もなく、読みたい本のストックは増えていくばかり。

先日、無印良品が出している「素手時然-so shu ji nen-」が届いた。作者の異なる様々なエッセイや文章とビジュアル写真が合わさった一冊で、文章量も多くなく久々に活字をゆっくりと見れた。そこからいくつかを引用させて頂く。

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▪︎いしいしんじ「熊にみえて熊じゃない」
からだと筆記具のサイズがそんなに変わらない幼児や小児は、書くことが即ち全身ペンになり、動き回って驚く体験となるが、だんだんと成長し、手首だけでペンが軽々動かせるようになると、全身の運動として言葉や線を体験することが少なくなり、さらに大人になって白紙やノートに字や線を引くこと自体しなくなると、言葉は自分のからだから離れた、印刷された字、ディスプレイの記号として、人間の外側を流通するだけのものとなる。手書きで字を書くことは、言葉をからだのなかに取り戻し、それをまた外へ投げかえすことだ。紙いっぱいの大きさや「る」や「に」を繰り返していくと、ふとからだが「に」と笑ったり、「るるる」と歌っていたりということがある。それはペンの踊りだ。

▪︎吉本隆明「15歳の寺子屋 ひとり」
誰に才能があって、誰に才能がないとか、そんなことはないというのが僕の考えです。(中略)大事なのはしょっちゅうそのことで手を動かしてきたか、動かしてきていないかのちがいだけです。これは物書きに限らず、なんでもそうですよ。

▪︎ミヒャエル・エンデ「モモ」
時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜん別のなにかをケチケチしているということには、だれひとり気づいていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。でも、それをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。というのは、子どもにかまってくれる時間のあるおとなが、もうひとりもいなくなってしまったからです。
けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして、人のいのちは心を住みかとしているのです。人間が時間を節約すればするほど生活はやせほそっていくのです。
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その人の哲学が染み込んだ文章は、自分の背筋をピンと伸ばしてくれる。それは日常で使っている言葉とは似て非なるものだ。言葉がからだの内側に入って満たされていく感覚。

なるべくたくさん手を動かして、なるべく深く向き合って、なるべく時間を惜しまず子どもと遊びたい。


最近は、長女と就寝前にトランプ(二人ババ抜き&神経衰弱)をして眠りにつくのが日課になっている。これがすごく楽しく盛り上がる。そのあと寝かしつけをするのだけれど、家族で一番早く眠りにつくのは大抵自分だ。

2017.04.14 | 日々のこと'16-

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