ロックと記憶

音楽家の大友良英さんのラジオ番組で、画家の奈良美智さんが紹介していたアメリカのスリーピースバンド、スリーター・キニーが自分の中でジワジワと来ていて、ここ数日聴いている。
(※下線部のリンクは音が出るので注意)

番組内で紹介された一曲は、Anonymous。ギター二人とドラムのバンドなので、ギターがうねって絡み合うサウンド。A New Waveという曲も弦楽器同士の相性がいい。

直接関係はないが、力が抜けた系のロックとしては、clap your hands say yeah のThe Skin Of My Country Yellow Teeth も好きな曲の一つ。

ロックに限っての記憶を辿れば、中学の時に、母親のカセットテープ棚から勝手に引っ張り出して、ビートルズやホワイトスネイク、ポリスやらを、その後友人に勧められボンジョビ、高校でニルヴァーナ、ハイスタンダード、ドリームシアター、レッド・ツェッペリン・オアシス、グリーンデイ、大学でレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、スマッシング・パンプキンズ、レディオヘッドなどを聴いた。

これらの音を聴くと、これは誰々に教えてもらっただとか、初めてスタジオで弾いた曲だとか、コインロッカーから荷物を取り出すように10代や20代の時のことがとてもリアルに思い出せる。
記憶と音楽というのはいつもセットだ。

ロックについては、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロト氏の言葉で記憶に残っている言葉がある。正確ではないが「一生食えるくらいの金があっても満たされない飢餓感。それがロックンロールだ。」という趣旨の言葉だったと思う。アップルのスティーブ・ジョブズ氏の「ハングリーであれ。愚か者であれ」と同じだと思った。

甲本ヒロト氏の言葉は、香川の高松で讃岐うどんを食べた後に、ふらりと立ち寄った、本が読めるバー「半空」で見た一冊の本に書かれていた。その本は「ロックンロールが降ってきた日」というタイトルで、ぼくは無意識のうちに手に取っていた。あのときの店内の薄暗さや、高く積まれた本と、色鮮やかに並んだカクテルの瓶、コーヒーの香りもよく思い出せる。

本で思い出すのは、小学校3、4年生の頃に江戸川乱歩の小説「怪人二十面相」にのめり込んでいたこと。内容自体ははっきりとは思い出せないが、それを読んでいた時の感覚は今も覚えている。その推理小説の影響を受けて、自分で殺人事件の小説を書いて豆本を作った。犯人は自由に豹に姿を変えられる豹男という今思うとナニコレな設定だった。赤い絵の具で血糊も付けた。紙同士を糊とセロテープでくっつけた結構粗い装丁だった。

こうして本や音楽のことを思い出すと、それにまつわる沢山の記憶(苦いのも甘酸っぱいのも含めて)も付いてくる。
本も音楽と同じように記憶と一対なのだ。

2016.02.13 | 日々のこと'16-

火曜の夜のシリウス

2.7
夜、日曜美術館で村上隆の五百羅漢図特集を見る。3歳の娘が「ちょっとこわいね〜。買わないほうがいいね〜」を連呼していた。あれだけの作品を買える財力はないので、安心してもらいたい。

2.8
携帯を家に忘れる。おかげで、行き帰りの電車で読書に没頭。携帯の小さい画面をずっと見ていると、頭の中がどんどん小さくなっていく気がする。情報は入ってくるけど、自分の中で咀嚼できていないような。といっても、携帯を手にするとやっぱり見てしまう。

2.9
帰りにいつもの電車が停まっていたので、別のルートで帰宅。振替輸送の影響で、最寄駅の一つ前で停まる電車に乗り、一駅分歩いて帰る。途中は閑静な住宅街で、街灯もほとんどない。ふと空に目をやると、オリオン座の傍で、シリウスが一際光って見えた。久々に夜空を見上げた。

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2016.02.10 | 日々のこと'16-

朝の余白

月に2、3回は、少し早めに家を出て、出勤前に東京駅構内のHint index bookでモーニングを取る。
本屋の片隅にカウンター席があるブックカフェ形式。
ワンコイン程度で厚切りのバタートーストとスクランブルエッグ、大判のハムにサラダ、それにブレンド珈琲が付いてくる。
朝カレーにも惹かれるが、気付けばいつもこのセットを頼んでいる。

ガラスに面したカウンター席に座り、本を読みながらの僅か15分余りの朝の余白。

余りの「白」ではなく、必要な「白」。
もしくは「間(ま)」といった方が近いかもしれない。


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2016.02.05 | 日々のこと'16-

時間の花

もうすぐ4歳を迎える娘が、しきりに「いまなんじ?」と聞いてくるので、100円ショップで時計を買った。
まさか本当に100円で手に入るとは思わなかった。
いざ電池を入れて動かしてみると、秒針の音が思ったより大きい。

夜中に響く針の音。
体が小さく小さくなって、針に体を後ろから押し出されているような気持ちになる。
「時間」と言えば、いつもミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出す。
小さい頃、家にビデオがあって繰り返し見た。
文庫も多分あったと思う。

時間貯蓄銀行からやってきた灰色の男たちが、街中の人から無駄(と他人からは思える)な時間を奪っていき、人々は生きることに余裕が無くなっていく話で、子ども心ながら、時間を単純に効率で計ることに警戒心を覚えた記憶がある。

どれだけ効率化が進んでも、特にものづくりにおいては、手間をかけ、何回も何回もやり直しをしながら進んでいくことでしか得られない輝きのようなものが、最後の砦として残る気がする。

手を動かして沢山の案を作っても、やっぱり最初のが一番良かったということも往々にしてある。
そんな状況でいつも思うのは、最初のアイディア以外の可能性についても、自分が満足いくまで検証した結果、最初のアイディアしかあり得ないという確信にたどり着くのであって、すべては必要なプロセスだったということ。
(そう思わないとやっていられない。)

そういう訳で、僕が休日に布団にくるまって午睡するのも、ただただ公園で青空を眺めるのも、少し寄り道して帰ってみたりするのも、日々を豊かにするための、節約できない大切な時間なのです。

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2016.02.02 | 日々のこと'16-

夜の木

数年前に、池袋のブックギャラリーポポタムで出会って以来、買わなかったことを心残りにしていた、インドの絵本「夜の木《原題:The Night Life of Trees》」が届いた。
(35歳の誕生日に。自分が35歳になる日が来るなんて考えたこともなかったけど、現にそうなっている。アラフォーへまた一歩。)

夜の木は、インドの工房で製作された部数限定のハンドメイドブックで、この表紙は4版になる。
今年の4月には5版が出る予定になっているが、鮮やかな若草色に惹かれて4版を選んだ(版ごとに表紙が異なる)。
4月まで待ちきれなかったのもあるし、そこそこいい値段がするので、誕生日くらいにしか買えないというのもあった。
本の裏側には779冊目を表す「0779 of 2000」のサインが刻字されている。

「夜」にふさわしい深い黒に染められた、ざらっとした質感の手漉き紙に、繊細なシルクスクリーンの版画。
華奢で柔らかいフォントと、黒いバックに白く浮かび上がる洗練された文字組み。
ベッドの傍に置いておくだけでも、なんだかパワースポット的な様相を醸し出している。
神社に参拝するときのあの感覚。
少し大袈裟だけれども、本当にそんな感じ。

本文「想像主のすみか」より
《菩提樹は完全な木ともいえ、そのかたちを陽に透かして見ると、葉っぱの形と同じなのだ。細部に全体が宿っているということだ。》

まさに、「神は細部に宿る-God is in the details」という言葉にふさわしい本だと思う。

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2016.02.01 | 日々のこと'16-

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